句作散歩

くさくさんぽ

11月26日 晴れ

睡眠時間を確保したおかげで良い寝覚めを得られる。

睡眠不足・カフェイン不足・運動不足・読書不足のどれにも弱く、どれかが欠乏するとHPなりMPなりが減っていき調子を崩すのは我ながら惰弱だと思う。

一方で、万全のコンディション時の万全という感覚は何事にも代えがたいということに30年余を経て気づけたのは私にとってあまりにも大きい。とくに人に伝えたいことなどないし、実際水を向けられてもぱっと思いつかないが、上のことはもっとも人に伝えたいことかもしれない。コンディションの調整に割く労力は一番優先していい。コンディションを万全に近づけることはおそらくクリエイティビティ全般にも言える鉄則なのだが、いわゆる「クリエイティビティ」に直接関わることのない人でも、毎日の食事をFULL-FULLで楽しむために感覚受容をマックスにしておくべきというのは考えればわかることだ。今日が楽しくなければ、楽しくてもその天井の高さがマックスまで到達できていなければ、全体を通した楽しさについても無条件で楽しいということにはなりえず、たとえばどれほどの料理や大傑作を口にしても制限付きで楽しんでいるにすぎないということになってしまう。見る目を養うこと、舌を肥やすことは必要不可欠だが、そういった成長だけでは足りない。何が良いのかを理解すること、言葉にしてそれを整理することも、記憶の定着という観点からも必要不可欠だが、そういった発信だけでは足りない。足りないというよりそれらは第二義的だと言い切ってもいいようなことだと思う。受動的だと反省する前に、完全に受容できているか、きちんと受動的になれていたかについて反省しなければならないはずだ。しかもその反省はつねにし続けるべきだ。

完全に受容できているかという反省の主体はほかならぬ「わたし」であり、「受動的にではなく能動的に」というときに欠かせない主体性は、そのわたしの反省なしには成立し得ない姿勢である。わたしは完全に受信できているかを点検することから主体性の発揮は始まるのであり、そこを通して能動的になるのである。能動的だというのは、間違っても受信したものに対して何らかのリアクションを取るということではない。

 

上のようにいつも思っていることを書くのにも随分時間がかかってしまう。

そんな時間があるのなら書きかけのものをすこしでも進めればよかったと思うが、気分が乗らないときに無理に書こうとしても駄目なので、できることをやるだけだ。バックスの席に座ってコーヒーを飲みながらご機嫌を伺うこと。毎日座りにくるうちに、いつか気分が乗ることを、その機運が高まることをただただ期待する。

 

上着脱ぎ乞うご期待と座り込む